塾長ノート

日本語の「~たら」と「~とすると」はどう違うのか

似ているようで同じではない、条件表現のずれを考える

「~たら」と「~とすると」の違いを説明するのは、意外と難しい。

というのも、文脈によってはかなり近く見えるからである。

たとえば、

地震が起きたら、大変だ。
地震が起きるとすると(起きたとすると)、大変だ。

このあたりは、完全に同じではないにせよ、そこまで大きな違和感はない。

ところが、別の文脈では急に苦しくなる。

彼が来たら、出発しよう。
彼が来るとすると(来たとすると)、出発しよう。

後者はかなり変である。

つまり、「~たら」と「~とすると」は単純に置き換え可能な関係ではない。

「~たら」は出来事の流れに入り込みやすい

私の感覚では、「~たら」は前件と後件の時間的なつながりや因果関係がかなり強い。

「彼が来たら、出発しよう」は、彼が来るという出来事をきっかけに、そのあと出発するという流れが自然に見えている。

ここでは、前件が成立したあとに何が起こるか、何をするかが、そのまま後件につながっている。

だから「~たら」は、単なる仮定というより、 何かが起きたその先の展開を、そのまま見ている表現 になりやすい。

「~とすると」は、いったん仮定を置いてから述べる感じがある

一方で「~とすると」は、何かが起きることをいったん前提として置いて、その上で話を進める感じが強い。

つまり、出来事の流れにそのまま入っていくというより、 「それが起きると仮定するなら」という足場を先に作る 表現である。

だから、「地震が起きるとすると、大変だ」はまだ理解しやすい。

ここでは、「地震が起きる」という事態を一度仮定として置き、その場合どうなるかを述べているからである。

しかし、「彼が来るとすると、出発しよう」になると苦しくなる。

これは、出発という行為がかなり具体的で、その場の出来事の流れに密着しているからだと思う。

そういう場面では、仮定を一歩立ててから述べる「~とすると」よりも、流れにそのまま乗る「~たら」の方が自然である。

同じ条件表現でも、組み立て方が違う

この違いを無理やり言えば、

  • 「~たら」は出来事の流れの中で条件を捉えやすい
  • 「~とすると」は仮定を立て、その上で判断や評価を述べやすい

と言えるかもしれない。

前者は時間の連なりや、その後の行動と結びつきやすい。

後者は前提設定のニュアンスが強く、その場合どう考えるか、どう評価するかという方向に進みやすい。

「~たら」は流れの中の条件、「~とすると」はいったん立てた仮定からの判断、と言い換えてもよいかもしれない。

完全な置き換えはできないが、重なる領域はある

もちろん、この二つがまったく別物というわけではない。

「地震が起きたら、大変だ」と「地震が起きるとすると、大変だ」のように、どちらでもそこそこ成立する場面は確かにある。

ただし、その場合でも見えているものは少し違う。

「~たら」の方は、何かが起きたあとの事態を、そのまま受け止める感じがある。

「~とすると」の方は、そういう事態をいったん前提として置き、その場合を考えている感じがある。

だから、表面的には言い換えられそうでも、完全な同義とは言いにくい。

日本語の文法は、意味だけでなく組み立て方を見ると面白い

日本語の文法を見ていると、単に「これはこういう意味です」と言うだけでは捉えきれないことが多い。

条件表現もその一つで、意味の近さだけではなく、出来事をどう組み立てて述べているのかを見ると、かなり違いが見えてくる。

「~たら」と「~とすると」の違いも、まさにそういう種類の問題だと思う。

似ているからこそ厄介で、似ているからこそ面白い。

こういう小さな違いを考えていると、日本語はやはりなかなか奥深い。

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