前回の記事では、 「はずだ」 と 「わけだ」 の違いを整理しました。
簡単に言えば、 「はずだ」 は手元の情報からの推測、 「わけだ」 は理由がわかったときの納得を表します。
今回は、その否定形にあたる 「はずがない」 と 「わけがない」 を考えてみます。
彼が嘘をつくはずがない。
彼が嘘をつくわけがない。
どちらも、「彼が嘘をつくとは思えない」という意味です。
しかし、受ける印象は少し違います。
「はずがない」 は、根拠や状況から考えて、その可能性はないと判断する表現です。
一方、 「わけがない」 は、もっと強く否定する表現です。 そこには、感情、反発、願望、決めつけのようなものが乗りやすくなります。
今回は、 「はずがない」と「わけがない」の違い を、根拠による否定と感情による否定という観点から整理していきます。
「はずがない」は根拠から可能性を否定する
まず、 「はずがない」 から考えます。
彼が嘘をつくはずがない。
この文では、話し手の中に何らかの根拠があります。
彼は誠実な人だ。
これまで一度も嘘をついたことがない。
状況的にも嘘をつく必要がない。
だから、彼が嘘をつくとは考えられない。
このように、手元にある情報や状況から考えて、 その可能性はないと判断しています。
つまり、 「はずがない」 は、
根拠
↓
その可能性はないという判断
という流れを作ります。
前回扱った 「はずだ」 が、根拠からの推測だったのに対して、 「はずがない」 は、根拠からの否定的推測だと言えます。
「わけがない」は強い否定を表す
次に、 「わけがない」 を見てみます。
彼が嘘をつくわけがない。
こちらも、意味としては「彼が嘘をつくとは思えない」です。
ただし、 「はずがない」 よりも、否定の強さが前に出ます。
話し手の中には、
いやいや、彼が嘘をつくなんてありえない。
そんなことは認められない。
彼はそんな人ではない。
そうであってほしくない。
という気持ちが混ざりやすくなります。
つまり、 「わけがない」 は、単に可能性を否定するだけではありません。
その可能性そのものを、強く押し返す感じがあります。
そのため、 「わけがない」 には、感情的な反発や願望が乗りやすいのです。
基本的な違い
ここまでを整理すると、次のようになります。
| 表現 | 中心 | 話し手の態度 |
|---|---|---|
| はずがない | 根拠からの否定 | 状況から考えて、その可能性はないと判断する |
| わけがない | 強い否定 | ありえない、と感情的に押し返す |
「はずがない」 は、比較的分析的です。
根拠がある。
状況から考える。
だから、その可能性はない。
一方、 「わけがない」 は、より強く、感情的です。
そんなことはありえない。
信じられない。
認めたくない。
そうであってほしくない。
この違いを意識すると、2つの使い分けが見えやすくなります。
電車の例で考える
次の例を見てみます。
この時間なら、もう電車はあるはずがない。
これは自然です。
話し手は、終電の時刻や現在の時間をもとに、
この時間なら、もう電車はないだろう。
と判断しています。
つまり、根拠から考えて、電車がある可能性を否定しています。
一方で、
この時間なら、もう電車はあるわけがない。
も使えます。
ただし、こちらは少し言い方が強くなります。
たとえば、相手が、
まだ電車あるかな?
と言ったときに、
いや、この時間に電車なんてあるわけがないでしょ。
と返すような感じです。
ここには、少し呆れや反発が混ざります。
つまり、
この時間なら、もう電車はあるはずがない。
→ 時刻から考えて、もう電車はないと判断している。
この時間なら、もう電車はあるわけがない。
→ そんな時間に電車があるなんてありえない、と強く否定している。
という違いがあります。
「病気のはずがない」と「病気のわけがない」
次の例では、感情の違いがさらに見えやすくなります。
彼は昨日まで元気だった。病気のはずがない。
これは、
昨日まで元気だった。
だから、病気だとは考えにくい。
という根拠にもとづく判断です。
一方で、
彼は昨日まで元気だった。病気のわけがない。
こちらは、もっと感情が前に出ます。
話し手は、ただ冷静に可能性を判断しているだけではありません。
病気なんてありえない。
そんなこと信じたくない。
そうであってほしくない。
という気持ちが感じられます。
もちろん、文脈によっては冷静な判断として使われることもあります。 しかし、 「わけがない」 は、 「はずがない」 よりも、受け入れたくない気持ちや強い反発が出やすい表現です。
「小学生には解けるはずがない」と「解けるわけがない」
次の例も見てみます。
この問題は小学生には解けるはずがない。
これは、かなり分析的な表現です。
たとえば、その問題が高校数学の範囲を含んでいるとします。 小学生はまだその内容を習っていません。
そのため、
履修範囲や必要な知識から考えると、小学生には解けないだろう。
と判断しています。
一方、
この問題は小学生には解けるわけがない。
は、言い方がかなり強くなります。
文脈によっては、
どうせ小学生には無理だ。
君たちに解けるわけがない。
という見下しや決めつけのように聞こえることがあります。
もちろん、必ず悪意があるわけではありません。
え、この問題を小学生が解いたの?
普通、解けるわけがないよ。
この場合は、見下しというより驚きです。
ただし、 「わけがない」 は否定が強いので、相手に向けて使うとかなりきつく聞こえることがあります。
「犯人のはずがない」と「犯人のわけがない」
最後に、次の例を考えます。
彼が犯人のはずがない。
彼が犯人のわけがない。
どちらも、彼が犯人である可能性を否定しています。
しかし、話し手の態度は少し違います。
「彼が犯人のはずがない」 は、何らかの根拠がある感じです。
彼にはアリバイがある。
犯行時刻には別の場所にいた。
証拠と合わない。
だから、彼が犯人だとは考えられない。
つまり、証拠や状況から判断しています。
一方、 「彼が犯人のわけがない」 も、アリバイなどの根拠があるときに使えます。
ただし、根拠がはっきりしていなくても使えてしまいます。
彼がそんなことをするわけがない。
彼はそんな人じゃない。
信じられない。
そんなこと、あってほしくない。
このように、 「わけがない」 は、願望・信頼・思い込み・決めつけを含みやすい表現です。
だから、
彼が犯人のはずがない。
→ 証拠や状況から考えて、犯人ではないと判断している。
彼が犯人のわけがない。
→ そんなことはありえない、信じたくない、と強く否定している。
という違いが出ます。
「わけがない」は根拠がなくても使えてしまう
ここで大事なのは、 「わけがない」 は、必ずしも冷静な根拠を必要としないということです。
もちろん、根拠がある場合もあります。
彼にはアリバイがある。犯人のわけがない。
これは、証拠にもとづく否定として使えます。
しかし、
彼が犯人のわけがない。
だけでも、文脈によっては成立します。
その場合は、話し手の信頼や願望、思い込みが強く出ます。
彼はそんな人じゃない。
私は彼を信じている。
彼が犯人だなんて受け入れられない。
このような感情が背景にあるわけです。
つまり、 「はずがない」 は、比較的「根拠からの判断」に寄ります。
一方、 「わけがない」 は、「そんなことはありえない」という強い否定を表し、 そこに感情や願望が混ざりやすくなります。
学習者はどう覚えればよいか
学習者向けには、まず次のように整理するとわかりやすいです。
| 表現 | 覚え方 | 例 |
|---|---|---|
| はずがない | 根拠から考えて可能性がない | 彼にはアリバイがある。犯人のはずがない。 |
| わけがない | そんなことはありえないと強く否定する | 彼がそんなことをするわけがない。 |
「はずがない」 は、推論・判断に近いです。
この問題は高校数学の範囲だ。
小学生には解けるはずがない。
「わけがない」 は、強い否定に近いです。
君たちに解けるわけがない。
後者は、相手に向けて使うとかなりきつく聞こえることがあります。
したがって、日本語学習者には、
「わけがない」は強い表現なので、使う相手や場面に注意する
と伝えるとよいです。
まとめ
「はずがない」 と 「わけがない」 は、どちらも可能性を否定する表現です。
しかし、否定の仕方が違います。
- はずがない は、根拠や状況から考えて、その可能性はないと判断する
- わけがない は、そんなことはありえないと強く否定する
- はずがない は、比較的分析的・推論的
- わけがない は、感情・反発・願望・決めつけが出やすい
- わけがない は、根拠がある場合にも使えるが、根拠がなくても感情的に使える
- 相手に向けて 「できるわけがない」 と言うと、かなりきつく聞こえることがある
たとえば、
彼にはアリバイがある。犯人のはずがない。
は、証拠や状況から考えて、彼が犯人である可能性を否定しています。
一方、
彼が犯人のわけがない。
は、証拠がある場合にも使えますが、 それ以上に「そんなことは信じられない」「そうであってほしくない」という気持ちが出やすい表現です。
つまり、 「はずがない」 は根拠からの否定。 「わけがない」 は強い否定です。
この違いを意識すると、 2つの表現の使い分けはかなり見えやすくなります。